甲州街道 その参
さて 甲州街道旅も3日目になりました 今回は 前回の続きです |
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調布駅北口交差点から西に向かいます この道は国道20号線ではなく 旧甲州街道です |
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ウイークデーなので 車の通りは少ないようです もっとも車が少ない時を見計らって シャッターを切っているからです |
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ふと見ると 道端に新選組の幟を発見 ここら辺上石原宿は近藤勇の生誕地らしい 生家が保存されている? |
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そんなものに出会えたら見てみようと思い さらに進むと 西光寺というところに 近藤勇の座像があるとのことで立ち寄り |
西光寺は近藤勇とかかわりの深いお寺 古いお寺のようです 門前横にある 近藤勇の座像も拝観 |
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仁王門から山門を望む 奥からの風景 |
お寺の最初の写真の中央奥に見えるのが 山門 仁王門はそのまた奥にあります |
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旧甲州街道に戻ると 塀越しに 味の素スタジアムが見えてきました さらに進むと 飛田給駅からスタジアムに続く スタジアム通りを横切ります |
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飛田給薬師堂 仙台伊達家の松前意仙行重が諸国行脚のおりに この地に足を止め庵をむすび 医業のかたわら 仏道に志し 地元の人々を救済したらしい |
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その後 自ら瑠璃光薬師如来の石像を刻み 完成したのち 入寂された とのこと |
旧甲州街道に戻ると しばらく歩くと 府中市に入ります |
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常夜灯に出会います 一部(半分くらい)補修されていますが 残りは昔からのものでしょう |
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交通安全ではなく 村内安全と 彫られているので 昔からのものと 推測できます |
この辺りから 似たような造りの民家が幾つも現れます 多分だと思いますが 昔は宿を営んでいたのではないか? |
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観音院 天台宗のお寺です 門の横には馬頭観世音の碑もあります |
下染谷の地名の由来碑もあります | |
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染谷不動尊 本尊の金銅阿弥陀如来像は 国指定重要文化財になっている とのこと 新田義貞が鎌倉攻めをする際 陣中の守り仏とした らしい 知らんけど |
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この家も同じような造りです | 門をくぐると 右側に土蔵 母屋は敷地の奥の方 |
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常久八幡神社 社は奥の方なので 鳥居と 石柱のみ撮影 チョット進むと 京王線の踏切りを 越えて府中の中心地に向かいます |
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次第に高いビルが増えてきます | ![]() |
続いて 武蔵國府八幡宮 今回の旅で初めて知りました |
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壱の鳥居をくぐり 参道を進むと 競馬場線の踏み切りの先に 弐の鳥居 |
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境内は鬱蒼としていますが 何もありません |
参の鳥居の横に手水舎 社務所も見当たりません 武蔵野国の守護神とのこと |
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無人なので 大國魂神社が管理している 再び旧甲州街道を西に向かいます |
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次第に府中の中心地に近づき | 高いビルが増えてきます 京王線府中駅を過ぎると |
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大國魂神社が鎮座しています 境内は広いので 外から参道を見るだけ 反対側には 欅並木が続いています |
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甲州街道にクロスする道は無視して さらに前進します |
創業1860年 酒座 中久本店 古い酒屋さんです |
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府中市役所前交差点の甲州街道を挟んで 高札場があります 高札場とは幕府や領主が決めたことを 木札に書いて人目につくところに掲示した まあ昔の掲示板・壁新聞みたいなもんでしょう |
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続いて番場宿 消防団の車庫の裏に 公園が在ります |
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割烹 番場屋 造りが古そうなだけで 江戸時代からの経営では無さそう 今も営業しているかさえ不明です |
次は 高安寺 平将門を倒した藤原秀郷の館跡と言われ のち足利尊氏が再建したと言われる |
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見性寺と言われたころ 兄源頼朝に 鎌倉入府を拒まれた義経が弁慶と共に 一時留まり赦免祈願のため 大般若経を 写したという |
その時裏山の井戸から清水を汲み取った 弁慶硯の井が遺跡として残されています |
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もちろん私も観てきましたが スペースの関係で 井戸の写真は無し |
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高安寺を出て甲州街道を進むと 再び京王線を横断します 分倍河原駅の近くです |
このお屋敷は大層立派な門が在ります 外に何も無いので 一般民家と思われますが 昔は本陣か何かでは無かったかと思います 定かではありませんが・・・ |
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本宿町交差点で 20号線と合流します そこが日本橋より32㎞地点です |
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本宿町中央公園 先の番場町の公園と同様 何の遊具も無い ただの広っぱです |
熊野神社の裏手には 上円下方墳が発掘され 観光資源になっているらしい |
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火伏の神である 秋葉神社の常夜灯 常夜灯を通じて 火の用心を願ったものと 想像できます |
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天満宮の大きな石柱 ここは谷保天満宮です |
ここも境内が広く奥深いのですが 以前にも来ているので 宮内のレポートは省略します |
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地蔵や石仏を集めたところ 祠?が新しいので 最近のものか? 五智如来の祠 五智如来とは 五種の智を備えた仏のこと 昔からの民間宗教のひとつのようなことが 書いてありました |
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元青柳村の常夜灯 昭和の初めごろまで 村人たちにより 毎晩ローソクが灯されていた とのことが 説明板に書いてありました 昭和の初め頃なら 夜この辺は 真っ暗になっていて 常夜灯の灯りは 行き交う人を癒したことでしょう |
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常夜灯傍の庵は何するものか? 特に何も書かれていなかったので 大したものでは無さそう でも 何か見逃しているかも・・・ |
少し歩くと 立川市に入ります 表示板だけで 大きな特徴はありません |
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大きな交差点 左に曲がると R20甲州街道 真直ぐ進むと 新奥多摩街道 |
右に折れると 立川通りで立川市街へ 斜め右に行く道が 旧甲州街道です 私はそっちへ進みます |
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交通量も少なく 住宅街の道といった センターラインも無い通り 角を曲がると |
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道は迂回しながら 坂を下って行きます 柴崎体育館の前を通って 新奥多摩街道を越えたら |
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錦町下水処理場が在ります 傍の道を進むと |
日野の渡し場の古そうな石碑と 後年造られたような 日野の渡しの碑 |
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この辺は河川敷を利用した 体育館を利用する人の駐車場もあります |
土手を上って 見渡すと | |
多摩の流れがありますが 渡しを利用するような流れには見えません 昔は大きな流れだったのか? |
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現在は渡しが無いので 立日橋を たつひばし と読みます 徒歩で渡ります モノレールを眺めながら・・・・ |
橋を渡りきると これから進む道が モノレールと分かれて 西に向かいます |
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今日の私の旅は ここまで モノレールで南に帰ります |
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振り返ると 立川の街並み | 今日の行程は 約13.5㎞ 急に暑くなったので ヘロヘロになりました |
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この調子で 夏前までに 小仏峠を越えられるでしょうか? |
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