甲州街道 その四
今日のスタートは 前回歩き終わった 立日橋の南からからです 向こうから歩いてきて右の方にある 多摩都市モノレールの甲州街道駅で終わったので 今日はここからのスタートです |
![]() |
|
旧甲州街道に入ると 直ぐに 日野宿になります 観光案内所の中にあるお土産品も 新選組関係が殆どです どれだけ新選組に頼っているのだ! |
観光案内所前の街道を挟んで 斜め前は日野宿の本陣が残されています |
|
江戸時代末期に 日野宿の名主を務めた 下佐藤家の住宅だそうです 元々脇本陣だったものを 幕末に本陣としたらしい |
||
主玄関入り口から 中庭の眺め 望遠で撮りました |
続いて 部屋の中からの眺め | |
屋敷内を拝観するのに 200円 ボランティアの解説者もいるようですが 時間を考えたらゆっくりできないので 辞退しました 右は 最上段の部屋だそうです |
||
続いては普門寺 街道からは少し奥まったところにありますが 室町時代からのお寺だそうです |
![]() |
観音堂と本堂 観音堂は 市の有形文化財だそうです |
境内は 子供たちの遊び場になっていて 昔からのお寺のような感じがします |
||
続いては八坂神社です 昔は 牛頭天王社と呼ばれていたらしいです 境内には天然理心流の奉納額もあるようです 井上兄弟と近藤勇の子孫は現在も 流派を守っているようです |
![]() |
神社の拝殿は 近代的な造りです と 思ったら 昔からの拝殿は コンクリート造りのシェルター?の中に 鎮座していました 古く格式のありそうな 立派な拝殿でした |
甲州道中分間延絵図 日野宿のガイドマップと言ったところか? かぎ型の道の角から角が本通りのようです |
||
そうこうしている内に中央線の日野駅に到着 日野駅を グル~~~ゥっと回り込んで |
反対側に出たら 大坂上通り と呼ばれる 旧甲州街道を進みます 国道20号線は この道の南側を通っています |
|
大坂上通りは 中央高速をくぐり さらに住宅街を進み |
![]() |
|
やがて256号線(都道と思います)に 合流します 古くは20号線だったかも知れません |
昔に思いを馳せると 宿場外れのこの辺りは 雑木林や畑があったのではないかと 思われます |
|
何故なら 工業団地用の広い土地が 確保できたからだと思います |
||
トラックメーカーや 精密機械の会社も 大きな敷地を確保して 稼働しています |
![]() |
そうこうしているうちに 八王子市に入ります 通りの両脇には イチョウ並木が続いています |
高倉稲荷神社です 享保三年高倉新田の鎮守として 創建されたようです |
||
歴史は古いようですが 甲州街道とは 縁が薄いようです |
暫く歩くと 20号線のバイパスと合流し やがて 八高線を越えます 乗っていると分かりませんが 八高線は 単線なんですね |
|
![]() |
時々 路肩に現れる 甲州街道の標識を確認しながら 歩を進めます |
![]() |
次に現れたのは 日枝神社です 作家司馬遼太郎の「燃えよ剣」では 新選組の副長 土方歳三や 一番隊組長の 沖田総司らが 若いころ 日枝神社の境内で大暴れしたと 書かれてあると 記されていますが |
![]() |
燃えよ剣は読んだことが無いので 詳しくは分かりません |
鳥居をくぐって 真直ぐな急階段(男坂)を上ると 拝殿がありますが 裏から車で来ることが 出来るようです 男坂を巻くように女坂もありますが 段数も多いし 距離も長いので 疲労具合は変わらないように感じました |
![]() |
|
16号線のバイパスを渡ると 旧道は20号線と分かれます |
分かれても 幾らも歩かないうちに 再び20号線と合流します |
|
![]() |
浅川に架かる 大和田橋のたもとで 20号線と合流し 橋を渡ると再び旧道は20号線と分かれます |
|
大和田橋から 南東(下流)方面を望む 八高線の鉄橋も見えます |
旧道は 市立五中の角を曲がり もう少し細い道に入ります |
|
竹の花一里塚跡 石碑だけが 竹の花公園の片隅に建っています |
![]() |
|
隣には 永福稲荷神社があります 当社は八王子新町の鎮守だそうです |
![]() |
八光山権五郎は八王子出身の力士で 自身の活躍を祈願して 社を奉納した ようなことが書いてありました |
その理由か どうかは解りませんが 手水舎は土俵のような造りでした |
||
再び20号線に出ると 村社 市守神社が鎮座しています 大鳥神社も兼ねているようです |
横山宿や八日市宿で開かれる市の平穏無事を祈願し 創建されたとのこと 後 江戸時代中期に 天日鷲命(あめのひわしのみこと)が 配祀され 十一月の酉の日に大鷲祭が行われるように なったようです つまり お酉さまのことですな |
|
![]() |
20号線に出て JR八王子駅を過ぎると 日本橋から45㎞の道標を発見 メインストリートは片側2車線ですが 歩道が広く設けられています |
![]() |
荒井呉服店の先には 八日市宿跡の石碑があります 新しいものなので 町起こしかなんかで 造ったもののようです |
![]() |
市内の20号線沿いには 古くからの店があるようで 現在も それらの建物が残っています |
えらく屋根が重そうな 土蔵や 有形文化財のような こんにゃく屋 などがあって |
||
最近の飲食店は殆ど見ることが出来ません 街道沿いは旧家で押さえられているため 新しい飲食店は JRの駅周辺に 出店していると思われます |
追分町交差点 ここで 甲州街道と陣馬街道に分かれます ここにも追分交番があります 新宿に続いて2つ目の追分交番です |
|
![]() |
交番の前には 追分道標があります 昔の商人が高尾山に五重塔を寄進した際に 新宿 八王子追分 高尾山麓の三か所に 建てた道標の一つだそうです |
![]() |
何でも戦争中に爆弾で壊され ピースが行方不明になったそうで 一番上と 三番目を新しく作って 繫いだとのこと どおりで 彫られた文字がしっかりしている |
![]() |
そのまま先に進むと 西八王子駅を通り過ぎ |
![]() |
20号線からチョット外れると 散田一里塚跡地には 高尾山方面への道標もあります |
![]() |
多摩御陵参道 入り口にある 石碑 もちろん多摩御陵は参拝していません |
高尾署を過ぎると 再び旧道に分かれます 意外と広い道でした |
|
古くからあるような民家もあります 地元の人しか使わないような道なので 車の通りも殆どありません |
![]() |
|
旧道が 広い道に分断されているので 浅川方面に迂回します 南浅川は八王子市役所の近くで 北浅川と合流して 浅川となって 聖蹟桜ヶ丘の上流で多摩川に流れ込みます |
再び20号線に入り 0.5㎞程で 本日のゴール 高尾駅に到着します |
|
今日の行程は 約5時間 歩行距離は 約14㎞でした もちろん 寄り道 見学 昼メシも込みの時間です 今日の昼飯は 久しぶりに お約束付でした 滲みたねぇ |
![]() |