日光街道を往く その壱
今日の散歩は ここ 日本橋からです 右は 魚河岸跡地の 碑です |
||
そして 日本国道原標です まあ 昔はありませんでしたが 街道の原点ということで 載せておきます |
もちろん 原標は 日本橋の 中央の 路上に埋め込まれています |
|
そして 大伝馬町通りを ひたすら 北東へ向かいます 繊維街を抜けると スカイツリーも見えてきます |
||
次に 浅草橋を渡って 北に向かいます |
橋のたもとには 浅草見附跡の 石碑がありました |
|
駅の裏には 銀杏岡八幡神社です 何が祭ってあるのか どういう曰くがるのかは 見逃しました |
||
江戸通り沿いの オンボロ本屋 右側のビルに もたれ掛っている のは 間違いありません |
この本屋 以前にも紹介したような しなかったような 曖昧な 記憶しかありません |
|
おなじみの 駒形どせう です 一度行かなくては と思いながら 未だ叶いません |
||
そして 駒形橋 越しの スカイツリーです |
やがて 浅草は 雷門前に到着 東京マラソンの 折り返し点です |
|
東武スカイツリー線の 浅草駅 兼 浅草松屋です ちょっと奥まった花川戸公園には 姥ケ池があります この伝説は 調べてください |
||
浅草を抜け 昔は 山谷と呼ばれた エリアを抜け 南千住に入ります |
常磐線のガードを潜ると 小塚原の回向院があります 裏手には 首切り地蔵があります |
|
左が それです 小塚原や鈴ヶ森など 江戸の入り口には 刑場があるようです |
||
ここで 4号線と合流 国道を渡ると 千寿天皇すさのお神社 があります ここは歴史も古く 旅立ち前の 芭蕉も宿泊したようです |
そんな遺構などもあり 境内の片隅には 富士塚も祭られていました |
|
神社を出ると 千住大橋 千住宿歩きの時は 左側を歩いて渡ったので 今回は 右端を歩きます |
||
足立市場の前を通り 千住宿に入ります |
詳細は ぢい散歩を 見てください |
|
千住宿のメインストリートを 進みます 途中 札立場跡 ほんちょう公園になっています |
||
そして おなじみ かどやの槍かけ団子屋さん リニューアルされていましたが 団子の味は 変わりませんでした |
千住宿場でも紹介しましたが 水戸街道との分岐道標 特にどうと言ったことはありません ネタ稼ぎです |
|
千住宿を抜けると 昔は無かった荒川放水路を 渡ります |
||
橋の上で 日本橋から 9kmの標示を発見 |
川を越えたところにある 真福寺 よく分かりませんが 訳も解らず石仏を撮っておきます |
|
さてここから再び 北に向かって歩を進めます あまり見ることろが無さそうな 行く手です |
||
八彦尊道碑 子供の咳にご利益が あるとのことです |
今でも信仰する人は いるのでしょうか? |
|
東武線 梅島駅付近 担々麺屋を発見したので この辺で昼食にします 美味しい担々麺でした ☆☆☆でしたが・・・ |
||
さらに北に進むと 環状七号線に当たります |
そば久の看板が大きくて 環七の道標が見難いですが 左の木の横にあります |
|
将軍家御成橋 御成道松並木跡 有名なものかと思い撮りましたが 大したものではなさそうです |
||
島根鷲神社 時代を感じさせますが 特に街道とは縁が無いようです |
そろそろ草加や春日部の文字が 見えてきました 左へ行くと舎人です 竹ノ塚辺り |
|
足立清掃工場入口 スポーツセンター プール併設 おなじみの風景です |
||
けなが川(毛長川)何のこともない 小さな河川ですが 東京都と埼玉県の境でもあります |
川を渡って いよいよ草加市に入ってきました |
|
春日部・越谷の道標 右に見えてきたのは 浅間神社です |
||
境内は草加八景の一つ だそうですが そんな大層なものでは 無いように見えます |
境内の裏手には 富士塚がありました 今でも造成中のようでした |
|
さらに進むと 火あぶり地蔵尊の祠です 親孝行のために放火をした罪で 火あぶりになった娘を哀れんで 立てられた ようなことが 書いてありました |
||
そろそろ せんべい屋も見ることが できるようになり |
草加宿が近づいてきた ことが伺えます |
|
今様草加宿の石碑 ここから旧街道に入るようです 市役所横には ここにも祠 |
||
さて 日光街道は まだまだ続きますが |
今日の街道歩きは ここまでにして 帰路につくことにします |
|
東武スカイツリー線 草加駅から電車に乗って お約束をしながら 帰ります |
今日の行程は 日本橋→千住宿 8.8km 千住宿→草加宿 9.5km でした |
|
|