日光街道を往く その四
 
一年ぶりの日光街道歩きです

前回の日光道参を見直すと

田んぼに水が貼ってあるので

本当に 一年ぶりということになります
 そして今回の 旅は ここ

 南栗橋駅からのスタートです
 先ずは 前回 街道から外れた地点

 そして 街道に戻ったら 権現堂調節池
 
土手の上の 桜並木が続いているので

権現堂の続きと思われます が

権現堂より有名ではないようです
 でも 地元の人には 格好の花見場

 ではないでしょうか?

 桜以外には 花が無いようなので

 春だけのニーズと思います 
 歩き始めると

 いきなり栗橋大一劇場

 なる シアターがありました

 私の思うところ ストリップ劇場の

 ような気がしますが 現役かは 判りません 
栗橋宿の外れには

焙烙地蔵があります

昔 利根川を渡って関所破りをして

処刑された人を 祭ってあるとのこと

御堂の中には 焙烙が備えられて

いました
   宿場通りに入ると

 栗橋宿の幟を目にします

 宿場には 由緒あるお寺も多くあります

 
 浄信寺 や深廣寺

 それぞれ歴史の中に存在した

 お寺です

 お寺の伝説も相当なものです
訳の分からない お寺の歴史より

訳の分からない 瓦塀の方が

歴史を感じます
 この お屋敷もかなりの大きなお屋敷でした

 そして 栗橋宿の外れには 
 八幡神社が ありました

 取り分け どういった神社では

 無いようですが

 見た目 歴史のあるような

 神社でした
 
神社を抜けると

利根川を 渡ります

利根川の上が 県境でした
   利根川を越えて 茨城県に入ると

 ナ カッタ ナカタ ナ カ タ  の

 中田宿があります
   街道筋には 古い神社や

 寺院が 多くありますが

 往時を偲ぶのは そんなもんしか

 無くなってしまったようです
 神社やお寺の前には

 その歴史や 縁起が記されて

 いますが 後で見直すと

 この光了寺も 

 雨乞いに関する

 伝説があるよです
 この茶屋松原も 昔は

 きれいな松並木があったそうですが

 昭和初期の道路拡張の際に

 伐採されたそうですが
 
 今では 復元のため歩道を広げ

 松の木を植樹しています
 古河第二中学校

 校門からの桜並木

 入学する生徒達は

 良い気分だと思います
 街道をさらに進むと

 16里目の一里塚

 古河第二高校の校庭の

 片隅にありました

 校内に入るのが躊躇われたので

 外から 一撮 
 さて 古河の宿場に入ると

 そこは城下町でした 
 古河城御茶屋口から

 城跡に向かいます

 
 古くからあったようなお店

 ぬた屋は 鯉の甘露煮を

 製造販売するお店でした
 
 城跡の周りは 文化施設や

 環境保存が進んでいます
 天守閣もありませんが

 遺構の堀もありますが

 塀などは 再現されたもの

 のようです 
 右は 小学校の校門

 これも環境を保存している一環

 ではないでしょうか
 
 昔 肴町と言われた通りです

 お城に食料を搬入する門に続く道

 大きなお店が何軒もあったようです
 今あるお店は 当時から代々続く

 のでは ないでしょうか
 街道に戻ると

 古河宿の幟が迎えてくれます

 かわいいお姫様がシンボルの

 ようです
 大きな道標が 行き先を

 案内してくれます

 日光 左  江戸 右 
 横町を案内する 石碑

 何の変わり映えがしない

 商店街です
   さて そろそろお昼にしようかと

 野木神社参道前のさぬきうどんやで

 一服
 お店の人の勧めで 参拝

 どうやらここには ふくろうが

 営巣し子育てをする木があるとのこと
 なるほど大勢のウォッチャーが

 大砲を構えていました

 境内には ふくろうの

 大きなオブジェもありました
 町指定文化財の公孫樹(大イチョウ)は

 約1200年前征夷大将軍坂上田村麻呂が

 蝦夷征伐の凱旋途中に立ち寄り植えた

 とありましたが

 古い巨樹としか印象がありません


 この地の西方約2kmには 渡良瀬遊水地があり

多くの野鳥が生息しているとのこと

緑深い神社の境内に ふくろうが営巣するのも

納得できます

  
 日光街道 野木宿 提灯屋とありますが

 提灯を売っている訳ではありません

 
 昔 宿を経営していたようで

 当時の屋号を表札代わりに

 しているようです 
 ちなみに こちらは 小林の屋号

 普通の名前です

 もちろん 小林家です
 開山四百祭法要中の 満願寺も

 古くからのお寺のようです
 17里目の 一里塚

 とうとう立て札だけになってしまいました
  浄明寺の庭先には ポピーが

 植えられていました

 人集めにしては ほったらかしです
 街道には 距離標

 東京(江戸)から 65km
 かなり歩いたようですが

 未だ 65km やっと65km と

 言ったところでしょうか
 野木宿の道標

 「是より太平山道」と彫られている

 らしいです 
 佐野ラーメンの看板を見るようになり

 歩き疲れてきたので

 野木駅から帰えることにしました
 今日は お約束を忘れてしまいました