日光街道を往く その伍

     
 前回から かなりインターバルが

空いてしまいましたが

今回は JR野木駅から

歩き始めます
  駅から 街道までは少し距離があり

無駄な感じがしますが

仕方ありません 
   日光街道(R4号線)に出るとすぐ

東京から67kmの標識

やっと 67kmか

まだ 67kmか

 
 暫く歩くと 左側に

法音寺が現れます
   芭蕉の句碑もあり

由緒あるお寺のようです
 大きな境内には 四国八十八ヶ所の

お砂踏み場のあり

本堂も立派なつくりでした
 
 友沼八幡神社

将軍様が日光参拝の際

前泊の古河城を出発して
  最初の休憩をとったところ

らしいです 

左下に書いてあります
   街道は まだまだ続きます  
 乙女一里塚 跡    開発により一里塚全体は

残ってはいませんが

当時の祠などは

残っているようです
  これも曰くのありそうな八幡宮

ですが 社が遠そうなので

街道からの一撮 
 
次に私の目をくぎ付けにしたのは

間々田のジャガマイタです

こんなのを見ると

何だろう? の興味が沸き上がります 
   ジャガマイタは 間々田八幡宮で

執り行われる祭りのようです

詳細は WEBで検索してください
   境内には 大きな池や

奉納相撲用の土俵もありました

映画 しこふんじゃったの

撮影も行われたとのことです
 
私が訪問したのは

お祭りの準備をしていた

前日のことです 
   時節柄 こいのぼりも遊泳

舞台みたいのもあり

いろいろな出し物を楽しめそうです
   定光寺は 少々変わった

山門があるお寺です

山門と鐘楼が合体

土地の有効利用でしょうか?
 
 続いて 通りかかったのは

西堀酒造の酒蔵です

門外不出や若蔵の清酒を

造っています
   ショップで試飲と お土産購入

徒歩ならではの恩恵と思います

美味しいお酒でした
   安房神社の参道

隣がウエディングホール

というのも 見どころと思います
 
 栃木の家の門には

無事に帰る を祈念して

カエルの石像が置いてあります

広範囲に分布しています
   古そうな(歴史のありそうな)

建物も押さえておきます
  そうこうしている間に

小山宿(街)に到着

まちの駅も古風な作りです 
 
 右に行くと 小山駅

左に行くと小山城跡
   城跡となると

寄り道しない訳にはいきません

小山城跡に向かいます



小山城は別名祇園城とのこと

由緒は分かりません
   いろいろ書いてありましたが

読んではいません

土塁や空堀の遺構も

同じようなので割愛
 
 高台より恩川を望む

この川も要塞の役割を

担っていたのだと思います
  さて折しも昼時

通りがかった担々麺屋で

少々遅めの昼食

ふりで入った割には

美味しかったです
  食後 街道に戻ると

旧道が入り乱れており

 右が旧道     

      左が旧道 
 
 宿場町には

昔 宿を商っていた家もあるようで

旧屋号が掲示されています
  この辺りの家には何軒も

屋号を掲げている家がありました

一軒当たりの収容人数が少ないのか?

往時 旅をする人が多かったのか?

私には 良く判りません 
  そうこうしているうちに

東京から 84km地点に到着

20km近く歩いているようです 
 
 奥州道中新田宿 の看板は

日光街道と奥州街道が

一緒になっているようです

たぶん 宇都宮までと思います
   この祠も 何やら由緒があるようでしたが

忘れてしまいました
   あまり開発されていない 旧道です

切れたれ繋がったり

そうこうしているうちに

小金井の一里塚です
 
小金井一里塚は

大きい敷地にあり

現代においては

公園のようでもあります
   ここからまた4号線に合流


慈眼寺に到着
   歴史ある古刹の

鐘楼も特徴的な

形状をしていました
 
 金井神社も歴史のある社

街道から奥深そうなので

参拝は敬遠しました
  後で調べたら

珍しい社の建物があるようです

惜しいことをしました 
   古い建物を保護するのか

倒壊しないような策を講じているか

よく判りませんが

現代でも使いやすいように改築して

残してもらいたいものです

他人事だから 無責任に言っています
 
 下野市役所が

いきなり畑の真ん中から

現れます

高層ビルではありませんが

造りは 豪華です
   下野市役所の近くの

自治医大駅から 帰ることにします

次の駅まで 少々距離があるからです
   


帰りの電車では お約束と思いましたが

御覧の通り 駅の近辺には何も無く

家まで 我慢しなくてはなりませんでした