日光街道を往く その六
さてさて 日光街道その6も ゴールデンウィークから引き続き 自治医大駅がら歩き始めます |
駅を出たら 4号線を渡り 日光街道(旧道)に向かいます |
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暑い夏の日 歩いている人は 見当たりません |
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遠くに見えるのは 自治医大の図書館です |
田んぼの稲も未だ緑 刈り取りまでは もうしばらく 時間の経過が必要 |
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4号線に戻ってしばらく行くと 大きな慈母観音像を発見 丸大食品関東工場の敷地ありますが 何故 この地にあるのかは不明 そして 日本橋から 91Km地点 |
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下石橋の石仏群 群 というからには もっと群れていなければ ならないと思うのですが |
意外と少数でした きっと時代の中に 消えてしまったのでしょう |
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宇都宮まで16km地点 石橋駅入り口を過ぎて |
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愛宕神社に寄り道 | 鳥居をくぐり 参道を進むと |
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拝殿があります 神楽殿は 少々新しい造りでした |
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境内の片隅には石碑や 石塔を集めたエリアがありました |
きっと周辺の石碑などを 集めて置いたようです |
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二十三夜塔は大きなもので 小屋の中に 鎮座していました 次が 開運寺 将軍様が日光参拝の際に 立ち寄られたとのこと |
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参道の石仏は新しいものでしたが 特徴があり面白いものでした |
将軍様ゆかりの 葵の御紋を使えるのは 指定宿? だったからでしょう |
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史跡を保護している 小屋? もう少し何とかならないものか 風が吹いたら 壊れそうでした |
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国道脇に 当たり前田のクラッカー でお馴染みの前田製菓宇都宮工場 の看板を発見 鬱蒼とした木々に囲まれていました |
建物が見当たらないので これから建設するのでしょうか? それとも 撤退した後でしょうか? |
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鞘堂地蔵尊 昔の戦で死んだ兵の鞘を集めて 葬った地に地蔵を安置した とのこと 今は 児童公園のようになっています |
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星宮神社 昔は村の鎮守だったのですが |
今や 残念な風景が残っています 神殿も無残な感じになっています |
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そして ついに宇都宮に入ります | ||
陸上自衛隊宇都宮駐屯地 入り口前を通り過ぎます |
特に不穏な様子はありませんでした | |
地域柄 大谷石を使った 構築物が多くみられるように なりました 雀宮一丁目2の石塔 何の塔かは解りません |
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地名の由来となった雀宮神社 それにしては 小さな社 |
しかし造りはなかなかのもので 彫刻も立派な仕上がりです |
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雀宮と書かれた額ですが 本物は別のところに 保管してあるようです |
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ついに 日本橋から100km地点 | ずいぶん歩いたようですが 未だ 100kmなのか とも 感じます |
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寿鶴薬師堂も危ない造りです |
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菅原神社は奥まった処にあり 少し手前の集会場が目立ちます |
菅原神社の全景 | |
と 額 左書きです | ||
宇都宮の市街地に入り 日光まで後 31kmとなりました |
JR日光線を越えると | |
不動尊の祠 旧奥州街道と奥州街道の 分岐点にあるとのこと |
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東武宇都宮線をくぐると | 1869年宇都宮藩知事が 蒲生君平の功績を賞して建てた 碑があります |
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続いて台陽寺 境内にはいろいろな石仏が 置いてありました |
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六地蔵や | 大きな観音像 | |
時節柄 墓参の檀家が大勢 参拝に来ていました |
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熱木不動尊の山門? 大分傷んでいます |
本堂は既に無く 本尊は公民館に安置してあります |
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一向寺 入り口 普通の門です 本尊の阿弥陀如来坐像は 国の重要文化財に指定されて いるとのこと |
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一向寺の向かいには 天満宮がありますが 由来は分かりません |
裁判所前の信号を右折して 今回の旅も大詰め |
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次回の進路を追分越しに眺めつつ 今日の終着 JR宇都宮駅に着ました |
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雲往きも怪しくくなり ポツリポツリと落ち始めたので |
電車の発車時刻まで ビールを呑みながら 名物の餃子を食べ お約束にしました |
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