大 山 道 弐
 
 今回は 大山街道旅の2回目です

 スタートは前回の終点

 二子玉川駅からです 
 歩き始めると間もなく 二子大橋で

 多摩川を渡ります
 二子大橋を渡り切ると 古い時代の橋の

 親柱(銘板)があります

 更に隣には 渡しがあったことを示す表示板も

 あります 
   二子神社の敷地には

 岡本かの子の文学碑が建てられています

 岡本太郎の作品だそうです 
 村社二子神社は この辺の鎮守です

 光明寺もまた古いお寺で 岡本かの子の

 兄 大貫雪之助の墓があります
 雪之助は島崎藤村門下で

 将来を嘱望されていましたが

 24歳で感染症を患い夭折しました
 タナカヤ呉服店は 古くからのお店

 古い建物の近所には 田中姓を名乗る

 写真店ビルや写真スタジオがあります

 たぶん 呉服店の子孫だと思われます
 古くからあるような酒屋も ビルを建てました

 古くからのお店は みんなビルを建てています

 二子宿は次の交差点まで

 その先は 溝口宿です
 この蔵造りの建物も 古い薬屋の灰吹屋です

 この辺では薬屋が珍しいため 遠方がらも

 薬を求める人が来たようです


 ※ 灰吹屋を覚えておいてください
 大山街道ふるさと館なる川崎市の

 観光施設がありますが 開いていないようです

 休日だけの開館かもしれません
 街道はここで二ヶ領用水の大石橋を渡ります

 常夜灯や欄干は近代のものだと思います
 次の 溝口神社は 溝口村の総鎮守とのこと 
 街道の奥まったところにある

 宗隆寺には 陶芸家の濱田庄司の墓があります

 また 芭蕉の歌碑もあるそうです

 見ていませんが・・・
 二子村と溝口村の大山街道を

 説明した 立て看板

 神社や寺のこと 旧家のことが

 色々と書かれてあります
   この辺りは 大山街道をアピールして

 地域興しをしているようです

 大規模な都市開発がされておらず

 古くからの人が住んでいるエリアだから

 だと思います
  ここで南武線を横切ります

 この先 多摩丘陵に向かって

 坂道の上り下りが多くなります



 南武線を渡ると 庚申塔と大山道標があります

 祠は新しく建てられたようですが

 納められている石仏は 昔からのものです
 庚申塔は大山詣でをする人の

 道標となっていたとのこと



 溝口村の外れを過ぎると

 緩やかな上り坂が始まります
   ねもじりとは 丘陵の麓で くねくねと

 曲がっているという意味があるそうです

 もちろん 諸説あるのは否定できません
 写真で見ると急坂には見えませんが

 昔は難所だったようです 
 
 笹の原子育て地蔵の祠

 庚申塔などと一緒に 大山街道の

 道標を担っていたと思います
 大山街道はこの先で

 国道246号線で分断されています
 246号線で分断された大山街道は

 道路標示の左方面に繋がって進みます 
 判り難いですが

 二股路を車が向かってくる方向に

 坂を下りながら進みます
 坂を下って また上って

 また下って 上って

 上り下りを何回か繰り返して
 さらに進むと

 宮前平駅に辿り着きます 
 宮前平の駅前には なんと!

 灰吹屋薬店がありました

 お店のつくりは ドラッグストア風で

 昔からの薬屋のイメージはありません
 ネットで調べたら 灰吹屋は

 田園都市線沿線に12店舗を構える

 地域に密着したドラッグストアでした

 元店の溝口村辺りにはビルがあると思います
 宮前平を過ぎたところのお屋敷(地主かな?)

 立派な竹林が裏庭に林立 春は筍三昧か?

 羨ましい



 でも ここからまた上り坂です
 鷺沼の駅前エリアで 地図を見誤り

 迷子になって 同じ所を往ったり来たり

 危なく遭難しそうになりました
 たぶん腹が減っていたのが

 地図を見誤る原因かと思いますが

 地図の情報もイマイチ頼りないものでした
 住宅街を抜けると 大きな造園屋さん

 皆川園 住宅地の中にあるので

 何れは 大東園のように 消えて行くのか?

 判りません
 造園屋さんエリアを抜けると

 そこはまた 住宅地エリア

 造園屋さんの敷地で遊べないのは

 子供たちにとって 残念なことです
 皆川園エリアを抜けると

 旧道は大通りに分断されます 

 やはり 田園都市は開発で旧道が

 多くのところで分断され

 うやむやになっているようです
 引き続き 旧道を進むと

 横浜市営地下鉄ブルーラインの下を抜けます

 地下鉄車両の通過を期待して 待ちましたが

 地下鉄車両が 全然通過しないので

 諦めて先に進むことにしました
  
 更に進むと 霊泉の滝に遭遇します
 
 ここは 滝不動尊の霊験あらたかな滝水

 一口飲めば いろいろな病が治癒する

 といった効能が記されていましたが

 一方 霊泉を口にするには 煮沸してから

 とか いきなり飲んではいけないとかの

 但し書きがありました
 どんな ありがたいお不動様があるのかと

 隣にある胸を突く梯子のような階段を上ると
 結構綺麗に造られたお堂がありました

 とりあえず 拝んで 先に進みます
 滝不動の前の道をさらに進むと

 早淵川に突き当たります 
 昔々は ここに橋が架かり

 向こう岸に繋がっていたのでしょうが

 今は 橋が無いので 川下の橋を渡ります 
 橋の名は 鍛冶橋です

 しばらく行くと ここにも

 庚申塔がありました

 祠は最近更新したようです


 庚申塔だけに・・・ なんちゃって
 その先は 荏田宿の入口

 荏田宿は 朝に江戸を出発して

 最初に泊まる宿場です

 昔の人は1日30Km以上歩いていたようです
 なので 旅籠や商店が並ぶ

 下宿 (しもしゅく)

 中宿 (なかしゅく)

 上宿 (かみしゅく)の

 三つの宿場が繋がっています
 この荏田宿エリアも 何とか大山街道を

 盛り上げたいと 思っているようです 

 復刻した 常夜灯のアピール力も

 柵が邪魔して 残念な見映えです
 中宿を過ぎ246号を渡り 上宿を抜けると  ここから斜めに246号に合流します 
 246号の手前には 大山街道を示す

 ステッカーが貼られている物置がありました
 再び 246号を離れ

 鬱蒼とした道を進みます
 脇道を抜け 東名高速の高架を潜ると

 荏田駅を見ることが出来ます
 荏田駅を中心に 旧道 そして

 246号を行ったり来たりしながら

 クネクネと先に進みます
 田園都市線のガードを潜ると

 旧道に戻ります
 旧道は 田園都市線を挟んで

 246号の反対側を進みます
  ときどき通過する田園都市線を見ながら
 分かれ道を 右方向の住宅街に進みます  ここも旧道と思われますが

 古い地蔵堂下に行き着きます
 市ヶ尾竹下地蔵堂と呼ばれているお寺

 開発中に近隣に置かれていたと思われる

 数多くの石仏を保存しています
 車通りとは離れた住宅地の抜け道

 ここが猿田坂と呼ばれる旧道のはずです
 車通りは大きく迂回して

 もう少し先で合流します
 バス通りを横切って明治末ごろまで

 旅籠を経営していたという 旧家を横目に

 旧道は進み やがて鶴見川につき当たります



 旧家は築100年以上なのか?
 迂回してきた車通りと一緒に 川間橋を渡ります  鶴見川を渡ると再び住宅地に入ります

 この辺はチラホラ畑地も見ることが出来ます

 少々田舎感が出てきました
 旧道がうやむやになっているので

 区画された道を進むと

 醫薬神社があります

 ここも古くからの神社のようです



 知らんけど
 再び住宅地の道を上り下りしながら

 本日の ゴール地点に向かいます
  またまた 246号に出会うと

 再勝橋で国道の上を越えます
 再勝橋を渡り切ると

 246号の下を通っていた

 田園都市線が現れ

 向こうに青葉台駅のホームが望めます
 
 そのままぐるっと街中の道を

 右往左往しながら 辿り着いたのが

 本日の終点 青葉台駅です











 田園都市の開発で

 旧道を偲ぶエリアは少ないですが

 所々で昔を感じることが出来ました



 時節柄 お約束は無しです

 帰宅してからです