信濃の民話 より          

八面大王と穂高の地名        

それじや、この地名にまつわる、おらほの昔話しをしてやるかいな……、人武天皇さまの頃にな、
有明山の山麓に「ここは我が住む地なり」俺の城、宮城と名付けて鬼が住んでいたんじゃ。
その鬼は八面大王と言って里に下っては穀物を盗み、娘達をさらい、わるさのしどうしでな、村人は
そりゃあ困っていたんじゃ。
この話しをエゾ征伐に行く坂上田村麿が聞きつけて鬼を退治しに来たんじゃ。ところが八面大王は、
雲を呼び、風を起こし、雨を降らし、近づく事もできなんだんじゃ。弓を射っても魔力があるんで
一本も八面大王を射ることもできなかったということじゃ。
ほとほと坂上田村麿は困って、観音様に手を合せて祈ったんじゃ。そうすると観音様が夢枕に現れて、
「三十三節ある山鳥の尾で弓矢を作り満願の夜に射たおしなさい」とお告げがあったんじゃ。
坂上田村麿は信濃一国布令を出したが、三十三節ある山鳥の尾はなかなか見つからなかったんじゃよ。

……さて話しはそれをさかのぼる事三年前の事じやがのう、弥助が穂高の暮れ市へ年越の買物に出かけたんじゃ。
雪の峠を越えて松林にさしかかった時に大きな山鳥が罠にかかって鳴いておったのじゃ。
心のやさしい弥助は山烏を助けて、罠には買物するはずだった五百文をかわりに置いて来たんじゃ。
家に帰ると母親のおさくもそれは良い事をした。おこるどころか、ニコニコ笑っておったんじゃ。
大晦日の夜に年の頃、17・8才の娘が、道に迷ったといって弥助の家の戸をトントンとたたいたのじゃ。
気のいいおさくは、火を燃してぬれた体を暖めてやったんじゃ。ちょうどこの年は、大雪で正月に
なっても雪が降りやまず、娘はおさくと弥助を手伝って年を越して正月を迎えたんじゃ。
娘は美しいばかりでなく、良く働く娘で、おさくも弥助もすっかり気にいって、弥助の嫁にしたんじゃ。
土地や財産もなかったけれど三人で助け合って笑いの絶えない、そりゃ幸せな家庭だったという事じゃ。

そして弥助の嫁が来て三年たった時に田村麿が八面大王を退治に来たんじゃ…山鳥のおふれの出た次の日、
弥助の嫁が書き置きを残して出ていったんじや。「三年間楽しい日々でした。この山烏の尾を八面大王の鬼退冶に
使って下さい。やっとこれで恩返しができます。」と記してあったそうじゃ。

弥助は丹念に矢を作リ、矢を田村麿に差し出したんじゃ。有明に矢村という村があるじゃろう。
矢が出た村という事で矢村というんじゃ。田村麿はこの弓矢の勢いを得て八面大王をどんどん山中に
追いあげたんじゃ。
しかし八面大王は魔力を使うため苦戦のしどうしだったんじゃが泉でのどをうるおし力を得て、大王を沢に
追い上げたのじゃ、(中房に行く途中に力水という沢があるが、田村麿がのどをうるおした所と言われている)
そして満願の夜に八面大王が月を背に受けて立っている時に弥助の矢を用いると、今まであった魔力が薄れ、
大王の胸に弓矢がささり鬼が退治されたという事じゃ。
そして戦いのあった沢という事で合戦沢と名付けられたんじゃ。
そこにあるのが合戦小屋で山登りの基地として使われてるんじゃ。

そして大王の胸に弓矢がささった時に大王の血が安曇野の空を染め、雨となって降りそそいだのじゃ。
それを浴びた民百姓は病に伏し、万病がはびこったという事じゃ。
これには田村麿困りはて、お寺を作り観音様を安置して祈ったんじやが、ほれ、それが満願寺じゃよ。
そこにこもって祈願すると、七日の満願の夜に有明山の上に観音様が御光をさして現れて
「この近くに温泉が湧くであろう、その湯につかって病いを治しなさい。」というお告があったんじや。
この温泉が今の中房温泉なんじゃが、民、百姓は、この温泉で湯治し万病もなおったという事じゃ。
だから今でも中房温泉につかると何の病いも冶るという事じゃ。

八面大王を伐った坂上田村麿は魔力で八面大王が生き帰ることをおそれて体を切リきざんで埋めたんじゃ。
大王の耳を埋めた所が有明の耳塚。足を埋めた所が立足。首を埋めたのが国宝の筑八幡宮、現在の松本筑摩神社。
胴体を埋めたのが御法田のわさび畑、別名大王農場といわれているんじゃ。
そして八面大王の家来に常念坊という坊さんがいて、八面大王が倒された時空高く舞い上り、一つの山に
庵(いおり)を結び八面大王をとむらって念仏を上げていたというんじゃ。
常に念仏が聞える山、これが安曇の空に高くそびえる常念岳なんじゃよ。…。

八面大王を伐つことができ、病いも治され、里も平和になったし、弥助も長者になれたんじゃがのう、
しかし、嫁を夫った弥助は毎日、暮れになると悲しみの顔で、雪空をながめ、嫁のけえってくるのを
何年も待ってたという話しじゃ・・・