日本人のルーツを辿る | |
そんな大げさなものではない日本民家園 |
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つづき バラ苑を出て 良く手入れがされている ハイキング道を 歩くと |
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住宅地に出ます | ![]() |
車が行き交う道路を渡り 木々が茂った その中に |
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生田緑地が あります 中に入ると 歩きやすいよう 整備されている 遊歩道がありました |
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麓に近づくと 日本民家園の 入り口があります |
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建物は どこからか移築したものか それとも オリジナルで 建築したものか |
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入園料500円也を出して 中に入ると いきなり 立派な建物が迎えてくれます |
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原家住宅 完成までに 22年もかかった豪華な 造りです |
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次が福島県の宿屋 鈴木家住宅です 市に行く馬方と 馬も泊まったらしいです |
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大勢の旅人が 宿泊したのではないか などと想像できます |
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外見ばかりだと ただの古い建物なので |
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特徴のある 内部を写してみます |
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昔の家は 灯りが少ないため 外の明るさと 対比した 写真を撮ります |
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水車小屋 長野県の方にあった 水車小屋 とのことです |
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民家園なので 民家ばかりかと思えば |
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道祖神みたいな 石仏もあったりして 出展者の名前まで 記されていました |
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昔の民家 とりわけ 農家の中は 食事をする場所 寝る場所 |
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そして 作業をする場所 個室なんかありません 収納もほとんどありません |
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衣類も沢山あるわけじゃなし 布団だって 必要なだけしか 無かったと思います |
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働いて 食事をするだけの 生活だったのでしょうか |
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それだけ生きることに 必死だった時代だったのでしょう |
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生活のために 飼っている 馬も大切な財産なので 一つ屋根の下で 暮らしたようです |
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大事な場所といえば 厠 ほとんどの農家は 屋外に設けられていたようです |
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建物の中にある家は 財産のある家のように 見えました |
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左は 船頭小屋 菅の渡しだそうです 菅は南武線の稲田堤の 辺りの地名 多摩川の渡しだったのでしょう |
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沖永良部島の 高倉 つまり 物置です |
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屋根の造りも 土地土地で違った 特徴があります |
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三重県志摩の 船越の舞台 歌舞伎芝居に使われていました 舞台に向かって左側には花道や 舞台中央は回り舞台になっています 奈落への入り口は 建物の裏から入る仕組みです |
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20軒以上ある古民家は 上がり込むことができる 床上公開している建物が 何軒かあります |
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床上公開中は 囲炉裏に火を入れ 建物に煙を廻します |
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ただ置いておくと 建物が傷むため 2週間くらいのサイクルで |
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各々の家を交代で 床上公開をしながら 囲炉裏に火を入れているようです |
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白川郷の山下家住宅 そば屋を経営していました 他にだんご屋もありましたが そば屋は大入りでした 入っていないので 値段は分りません |
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日本民家園に入るには 3ヶ所の出入り口がありますが 帰りのことを考えると |
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入ったところから 出るのが一番便利 と言うことで |
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振り出しの入り口に戻って 今日の散歩は おしまいです |
天気も良く 気温も上がったので その辺で お約束と思いましたが 家に帰るまで お預けでした 今日は1日で2ヶ所の取材 おかげで 2本立ての でじかめ散歩になりました |